saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」 第二章 道は完全だ (01)

Pp47ー52

  第二章  道は 完全だ  (01)

 

『物事の深い意味が分からぬうちは、

   心の平安はいたずらに乱される。

   道は大いなる虚空のように完全だ。

   足りないものも、

   余計なものもない。

   しかり、いいとかいけないとか選り好みをするばかりに、

   本当の姿が見えないだけだ。

   外側の物事のもつれの中にも、

   内側の空無の中にも、 住んではいけない。

   穏やかに、 何を求めるでもなく、

   大いなる 一体性の中にとどまるがいい。

   そうすれば、 誤った物の見方は自ずから消えよう。

   静寂を得ようとして、 行動を抑えてみても、

   まさにその努力が、 かえって人を行動で満たす。

   どちらか一方の極端にいるかぎり、

   決して 一体性を知ることはできない。

   このただひとつの道に住まぬかぎり、

   行動することにも、 静寂を得ることにも、

   断定することにも、 否定することにも失敗しよう』。

 

 

 僧璨の この経文に入る前に、二、 三 言っておこう。

 何年か前、西洋に エミール・クーエという フランス人の催眠術師がいた。

彼は 人間の思考作用(マインド)についての基本的法則のひとつを 再発見した。

彼はこれを「逆効果の法則」と 呼んだ。

これは、道教や 禅の考え方にある 最古の教えの ひとつだ。

僧璨は この法則について 語っている。

まず この法則を 理解してみなさい。

そうすれば、彼の言葉の理解が 容易になるだろう。

 

 例えば、眠れない時、人は どうするだろう。

人は 眠ろうと努力する。

あれこれ やってみるが、 何をしても それは逆効果に なるだけだ。

求めることは 決してやって来ない。

まさに その逆が起こる。

それは どんな行動も、どんな努力も、眠りを妨げるからだ。

 

 眠りとは 寛(くつろ)ぐ ことだ。

それを 持ってくることは できない。

それを 起こらせるために、何をすることも できない。

それを 強制することはできないのだ。

それを 意志することはできない。

意志の 一部ではまったくないからだ。

眠りとは 無意識の中に 入って行くことであり、あなた方の意志は、意識のほんの 断片に過ぎない。

 

 人が 無意識の中へ、その深みへ動いて行く時、意識的である その断片、意志である その断片は、表面に とり残される。

 

人は、 自分の 表面を 深みに連れて行くことはできない。

自分の 外周 を 中心へ 連れて行くことはできない。

 

 だから眠ろうと努力すれば、それは 自己矛盾になる。

まさに 反対の効果しかないことを しているのだ。

かえって目が冴えることになる。

眠りに入る 唯一の方法は、何もしないことだ。

 

 眠りが 来ていないようなら、それは 来ていない のだ。

待ちなさい、何もしてはいけない。

さもないと、 眠りを もっと遠くに追いやり、距離を作ることになる。

ただ 枕に頭をもたせて待ちなさい。

灯りを消し、目を閉じて、身を寛がせ、そして 待つがいい。

それが いつであるにせよ、来る時には来る。

どんな意志の行為も、それを もたらすことはできない。

意志は 無意識に対立するからだ。

 

 これは〈生〉の 様々の事柄で 起こる。

努力すれば、ちょうどその反対の結果が起こる。

静かになりたければ、人は 何かするだろうか。

つまり、静けさとは まさに眠りに 似ていて、強制はできないものだ ということだ。

人は それが起こるのを許すことはできる。

それが 手放しだ。

しかし それを ひねり出す方法はない。

静かになりたい時に、人は 何をするだろうか。

何かを したら、かえって静かではなくなる。

 

 静かになりたい時に、人は何かするだろうか。

静けさとは 何もしないということなのだから、ただ漂い、ただ寛げば いいのだ。

そして、 ただ 寛ぎなさいと 言う時、私は 文字通りの意味で言っている。

寛ぐための どんな方法も 用いるべきではない。

方法とは、またもや自分が 何かをしている、ということだからだ。

 

 こんな本がある。

題名は、「あなたは 寛(くつろ)がなければならない!」というのだ。

そして、この「ねばならない」は、寛ぎに対立する。

この「ねばならない」を 持ち込むべきではない。

さもないと、もっと緊張することになる。

 

 この 逆効果の法則は、エミール・クーエによって再発見された。

彼は、「物事がおこるにまかせなさい。 それを強制してはいけない」と 言っているのだ。

強制できることもある。

意識的な思考(マインド)に属することは すべて強制できる。

しかし、強制できないこともある。

無意識に属すること、深みに属することは、すべて強制できない。

 

 

 第二章  道は完全だ (02)へ 続く・・・