saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」第二章  道は完全だ (10)

Pp72ー74

 

第二章  道は完全だ (10)

 

『 道は大いなる虚空のように完全だ。

   足りないものも、余計なものもない。

   しかり、いいとかいけないとか選り好みをするばかりに、

   本当の姿が見えないだけだ。』

 

 私たちが 本当の姿を見ることができないのは、そのためだ。

 

受け容れたり、拒否したりするためなのだ。

人は 自分の考え、意見 偏見を持ち込む。

そして あらゆるものを色づけしてしまう。

そうでなければ、すべては完全だ。

人は、 ただ 見ればいいだけだ。

濁りのない目で、どんな考えも持たずに ただ見る。

どんな拒否も、あるいは 受容もなしに、ただ 純粋に見る。

まるで、自分の目の背後には 思考(マインド)などないかのように、あたかも 自分の目が ただの鏡に過ぎないかのようにだ。

 

鏡は「美しい」「醜い」を 言わない。

 

 鏡は、前に来たものを何でも ただ映すだけだ。

そこには どんな判断もない。

もし、あなたの目の背後に 思考(マインド)が なかったら、その目が ただ映し出すだけだったら、それがただ見るだけで、「これはいい、 あれは悪い」などと 言わなかったら、非難したり、賞賛したりしなかったら、もし そうなら、あらゆるものは 申し分なく明瞭で、為されるべきことなど何もない。

この明瞭性、意見も偏見も持たない この目……それで、あなたは 光明を得ている。

 

 そうなったら、解決されるべき問題など 何もない。

〈生〉は もはや謎ではない。

それは 生きるべき、楽しむべき神秘、踊るべき舞踏だ。

そうなったら、人は〈生〉との どんな葛藤の中にもいない。

そうなったら、人は ここで何をやっているのでもない。

その時 人は ただ楽しんでいるだけだ。

その時、人は 至福に満たされている。

 

 これが天国の意味するものだ……何をするようにも 期待されていないところ、人が 至福を稼ぎ出そうとしないところ、至福が自然であり、人の上に降りそそいでいるところだ。

これは、今、 そして ここで起こり得る。

それは 僧璨(そうさん)に 起こった。

それは 私に 起こった。

あなたにも 起こり得る。

もしそれが 一人の人間に起こり得るのなら、それは すべての人に 起こり得る。

 

 

第二章  道は完全だ (11)へ 続く・・・