saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」第1章   大いなる道 (14)

Pp40ー41

 

第1章   大いなる道 (14)

 

『だから、真実を見たいと願うなら、

   いいとか、駄目だとかの意見を持たぬことだ』

 

 本当に真理の何たるかを 知りたければ、有神論者であってはいけない、無神論者であってはいけない。

「神はいる」と 言ってはならない、「神はいない」と 言ってはならない。

どんなことでも 自分が言ったことは 深い欲望になってしまうからだ。

そして、人は その欲望の 影に隠れているものを 何でも投影することになる。

 

 唇に横笛を当てた クリシュナの姿をした神を見たい と 思っていたら、いつかその姿を 見ることになる。

それは、 クリシュナが そこにいるからではなく、自分が持っていた欲望の種を この世のスクリーンに投影したからに過ぎない。

 十字架上のイエスを見たい と 思っていれば、いつかは それを見ることになる。

 

 何でも 自分の望むものが投影される。

だがそれは、夢の世界に過ぎない、真理に近づいて行ってるわけではない。

 

内側の種をなくしなさい・・・意見も、 賛成、 反対の考えも、哲学も持たずにいなさい。

ただ、あるがままを 見て行きなさい。

どんな思い(マインド)も 持ち運ばずに、思い(マインド)無しで 行くのだ。

 

 『だから、真実を見たいと願うなら、

   いいとか、駄目だとかの意見を持たぬことだ。

   好きと嫌いの葛藤、

   これが 心の病いだ』

 

 

第1章   大いなる道 (15)へ 続く・・・