saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」 第1章   大いなる道 (12)

(…意識の明晰さが ある時、全存在は、その実体を顕わす 。 その実体が神、その実体が真理だ…)

 

Pp36ー37

 

第1章   大いなる道 (12)

 

 それは何を 意味するか。

僧璨(そうさん)のような人は 愛さない ということだ。

その愛は まったく異なった質を 持つことになる。

それは、あなたたちの愛と 同じにはならない。

彼も愛しはするが、その愛は 選択にはならない。

彼も愛しはするが、その愛は 投影にはならない。

彼も愛しはするが、その愛は 自分の夢のための愛ではない ということだ。

彼は 実在を 愛する。

その実在への愛が 慈愛だ。

 

 彼は あれこれと 投影しない。

彼は 人の中に 神も見なければ 悪魔も 見ない。

彼は ただその人を見、自ら溢れるほどに持つがゆえに それを分かち合う・・・すると 分かてば分かつほど それは 大きくなる。

彼は 自らの歓喜を 人に分かつことになるのだ。

 

 人を愛すれば、あなたたちは 投影する。

あなたたちが 愛するのは、与えるためではない・・・あなたたちは 奪うために、搾取するために愛する。

人を 愛すれば、あなたたちは 自分に合わせて、自分の考えに合わせて その人を 固定しようとし始める。

あらゆる夫が これをしている、あらゆる妻が これをしている、あらゆる友人が これをしている。

相手を、実在を変えようと し続ける。

が、実在が 変わることは あり得ない・・・あなたたちは 失望するだけだ。

 

 実在は 変わり得ない。

ただ夢が 粉々に 砕かれ、自分が 傷つくことになるだけだ。

 

が、人は 実在に 耳をかさない。

 

あなたの夢を満たすために ここにいる者など 誰もいない。

誰もが、 自分の運命を、自分自身の 真実を実現するために ここにいるのだ。

 

 僧璨(そうさん)のような人も 愛するが、その愛は 搾取ではない。

彼が 愛するのは、あまりにも多くを 持っているから、 溢れているからなのだ。

彼は 誰のまわりにも 夢を紡(つむ)がない。

道で出会う 誰にでも 分かち合う。

その分かち合いは 無条件だ。

相手から 何ひとつ期待してはいない。

愛が 期待したら、あるのは 失望だ。

愛が 期待したら、けっして 充足が来ることはない。

愛が 期待したら、来るのは 惨めさと 狂気だけだ。

 

「違う」と 僧璨は言う。

「愛でも憎しみでもない。 ただ相手の真実を見るがいい」と。

これが 覚者の 愛だ。

相手の 真実を見ること。

相手を あるがままに 見ること、ただ その真の姿を見ることだ。

 

投影するのでもなく、夢を見るのでもなく、イメージを作るのでもなく、そのイメージに 合わせて 相手を固定しようとするのでもない。

 

 

 第1章   大いなる道 (13)へ 続く・・・