saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」第二章  道は完全だ (06)

Pp58ー59

 

 第二章 道は完全だ (06)

 

 その過程は 同じだ。

愛を 意志することはできない。

意志すれば、美しさは すべて失われる。

すべては 機械的になってしまう。

おきまりの儀式を 全部終えても、何も起こらない。

そこに 歓喜はなく、それは 何かしなければならないこと、片づけなければならないことになる。

けっして自分の中心に達することはない。

けっして自分を根底から揺るがすことはない。

けっして自分の内なる踊りになることはない。

それは 自分の 実存の脈動ではない。

単なる 表面上の行為に過ぎない。

いいかね、愛は意志できない。

そして 瞑想も意志できないのだ。

 

 知識は すべて 投げ出しなさい。

知識は、何かをしなければならない時にしか 必要ないからだ。

何もする必要がないのに、何の知識が要るのか。

どんな知識もいらない。

ただ ある感じ(フィーリング)を、いかに落とすか、いかにして 存在しないでいるかを知るための ある  こ   つ  を つかむ必要が あるだけだ。

そして私が「いかにして」と 言う時、それは 技術的なことではない。

私が「いかにして」と 言ったとしても、それは技術を習得しなければならないと 言っているのではない。

人は それを探し求めなければならないだけだ。

 

 助けになるように、二つのことを言っておこう。

ひとつは、眠りのことだ。

どのように眠りが起こるのか、自分がどのように眠りにおちて行くのかを見つけ出してごらん。

 

 

 第二章  道は完全だ (07)へ 続く・・・