saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」第1章   大いなる道 (07)

Pp21ー23

 

第1章   大いなる道 (07)

(……あなたたちは 中国の陰陽図を見たことがあるに違いない。

あれが〈生〉の ありようだ・・・)

 

・・・対極が 出会っている。

あの陰陽図は、半分が白で 半分が黒だ。

その 白の中に 黒い点があり、黒の中に 白い点がある。

白は 黒の中に 突き進み、黒は白に向かっている・・・ひとつの 円環だ。

 

女は男に向かって 動き、男は女に向かって動いている。

これが 生だ・・・細かく観察すれば、それが 自分の中にも あるのがあなたにも 分かるだろう。

 

男は 二十四時間、男ではいない。

そうではあり得ない・・・男が女に なることもある。

女は 二十四時間、女ではいない・・・時には、女が男に なることもある。

 

 両者は 対極に向かって動く。

女が 怒った時、彼女は もう女ではない。

どんな男よりも 攻撃的に、 どんな男よりも 危険になる。

女性の中の男性は、より純粋で 一度も使われたことがない からだ。

だから、いったん 女が怒れば、その怒りは どんな男も 敵 (かな)わないほどの 鋭さを持つ。

あたかも 何年も使われなかった 土壌のようなものだ。

種を蒔 (ま)けば 豊作だ。

 

 女は 時には男になるが、女が男になったら どんな男も 敵わない。

そうなったら 女は実に物騒だ。

そういう時には、男は 言うことを聴いておいた方がいい。

そして それは男たちが みんなやっていることだ。

男は おとなしく 言うことを聴く、降参する。

何しろ、 男が すぐに女にならなければ、面倒なことになるからだ。

ひとつの玉座に 刀が二本では 面倒なことになる。

女が男になったら、つまり 女が役割を変えたら、男も ただちに 女に なる。

それでまた なにもかも治まる・・・再び 円になる。

 

 また、男が 言うことを聴いて 降参したら、その降参には常に、 どんな女も敵わないほどの 純粋さが ある。

普通 男は、そのゲームで 決してそんな態度を とらないからだ。

いつもなら 男は 立ち向かい、戦う。

普通なら 男は 意志を 通す、降参しない。

だが、 いったん降参したら、男は どんな女も敵わないほど 純になる。

恋を している男を 見なさい、まるで 子供みたいになる。

 

 だが それが〈生〉の動き方なのだ。

これを 理解したら、もう 人は決して 心配しない。

そうなれば 愛する男が 離れて行っても、彼が帰って来ることを 知っている。

愛する者が 怒っても、その愛が 帰って来ることを 知っている。

そうなれば 人は忍耐心を持つ

アリストテレスと 一緒では、忍耐など 持てない。

なにしろ、愛する者が 離れたら、一直線に 立ち去ってしまう、帰って来ることは ない、と言うのだから。

これは 円ではない。

だが 東洋の我々は 円を信じている。

西洋では 直線を信じている。

 

 西洋の思考(マインド)は直線的、東洋の思考(マインド)は 円環的だ。

 

 

第1章   大いなる道 (08)へ 続く・・・