saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」 第1章   大いなる道 (10)

Pp31ー35

 

第1章   大いなる道 (10)

 

…文明は 便秘によって 測ることができる。

より便秘している国が より文明化されている ということだ。

それだけ 論理的だからだ。

なぜ息を吐くのか、吸い込み続ければいい、食物はエネルギーだ、どうして捨てるのか、と。

人は 気づいていないかもしれないが、これこそは、論理的に、つまりアリストテレス的に なりつつある無意識の仕業なのだ。

 

 だが〈生〉とは、外に投げ出すことと、内に招くことの平衡だ。

人は 通路に過ぎない。

分かちなさい、与えるのだ。

そうすれば もっと多くのものが 与えられる。

ケチになって、与えないでいてみなさい、あなたに与えられるものは だんだん減って来る。

それは、あなたが必要としていないからだ。

 覚えておきなさい、そして 自分の〈生〉の過程を 見守るのだ。

 

あなたが 究極の理解を、光明を得たいと 本当に思うなら、もっと多くのものが 自分に与えられるように、与えることを 忘れないことだ。

何であれ、それを 吐き出しなさい。

もっと 息を吐きなさい。

それが 分かち合うことの意味、与えることの 意味だ。

 

 贈り物とは、もっと多くのものが 与えられるように、自分の エネルギーを与えることだ。

だが 頭(マインド)は 言う・・・。

頭には 頭の論理がある。

そして僧璨は その論理を 病いと 呼ぶ。

 

 『大いなる道は難しくない』

 

 あなたが それを難しくしている。

あなたが 難しいのだ。

大いなる道は 易しいものだ。

 

 『選り好みをしなければよいだけだ』

 

 選んではいけない。〈生〉が流れるのを許しなさい。

〈生〉に「この道を行け。 北に向かえ、南に向かえ」などと 言ってはならない。

そんなことは言わないで、ただ〈生〉と ともに流れなさい。

流れと 闘ってはいけない……流れと ひとつになりなさい。

 

 『選り好みをしなければよいだけだ』

 

 大いなる道は 選り好みをしない者には、 易しい。

が、あなたたちは あらゆることに 選り好みをする。

あらゆることに 思考(マインド)を 持ち込む。

「私は好きだ。私は嫌いだ。 私は これがいい、あれは嫌だ」と 言う。

 

 『愛も憎しみもなければ、』

 

 こちらに 何の選り好みもなければ、「いい」だの「いや」だのということが まったくなく、愛も憎しみも両方なければ、何を好むということも、何を嫌うということもなく、ただ あらゆることを 起こるに  委(まか)せるなら………

 

 『すべては明瞭で、隠されたものとてない。

   だが、ほんの僅かな区別でもすれば、

   天と地は無限に離れる』

 

 だが 頭(マインド)は 言うだろう。

「選ばなければ、 動物になってしまう。 選択しなかったら、私と樹と どこが違う」と。

違いはある。

大変な違いが ある。

思考(マインド)が 持ち込む違いではなく、覚醒によって起こる違いだ。

樹は無選択で かつ無意識だ。

あなたは無選択で、しかも 意識的であることになる。

これが 無選択の覚醒が 意味するもの、そして それこそが最大の相違だ。

あなたは 自分が無選択でいることに 醒めていることになる。

 

 そして この覚醒が あまりに豊かな平安を与えるために、あなたは 一人の仏陀に、一人の僧璨に、一人の荘子に なる。

樹木は 荘子には なり得ない。

荘子は 樹に似ているが、それに 何かが加わっている。

彼は 選択に関するかぎり 樹と似ているが、覚醒に関するかぎり、まったく 似ていない。

荘子は 自分が無選択でいることに 完全に醒めているのだ。

 

 『愛も憎しみもなければ、』

 

 愛と憎しみは ともに色眼鏡をかける。

すると、もうはっきりとは 見られない。

誰かを恋したら、人は そこにないものを見始める。

どんな女性も、恋するあなたが思うその女性ほどに 美しくはない。

なぜなら、あなたは 投影しているからだ。

頭(マインド)の中に 夢の少女を持っていて、その夢の少女が 投影される。

その 現実の女の子は、映写幕として 機能しているに 過ぎない。

 

 あらゆる恋が 遅かれ早かれ いつか幻滅に到るのはそのためだ。

その女の子に どうしてスクリーンの役割が 演じ続けられよう。

彼女は 生身の人間だ。

彼女は 主張するだろう。「私は 映写幕じゃありません」と 言うだろう。

どれだけの時間、彼女が あなたの投影に合わせ続けられると言うのか。

遅かれ早かれ、人は、その二つが 合わないのを感ずる。

初めのうちは、彼女も譲った。

初めのうちは、あなたも 譲歩した。

あなたは 彼女にとっては 映写幕だった、彼女は あなたにとっては映写幕だったのだ。

 

 ちょっと小耳にはさんだのだが、ムラ・ナスルディンの妻君が、彼に 言っていた。

「あなたは以前ほど私を 愛してくれていないわね。 以前、私に 言い寄っていた頃みたいには」

ムラ・ナスルディンは 言った。

「あんなことは、 お前、そんなに気にしなくていいよ。 あんなのは、ただの宣伝キャンペーンなんだから。

俺は お前が言ったことを 忘れたから、お前も 俺が言ったことなんか 忘れるんんだな。

そろそろ現実的にやろうじゃないか」。

 

 

第1章   大いなる道 (11)ヘ 続く・・・