saleem’s blog

「Let it be so〜」

「信心銘」 第二章 道は完全だ (03)

Pp54ー56

 

  第二章  道は完全だ (03)

 

 ほとんど 九十パーセントの子供が、昼ではなく 夜生まれているということを 知っているかね。

どうしてだろう。

半々の はずだ。

子供は なぜ夜のほうを多く選ぶのか。

しかも 九十パーセントとは!

それは 母親が無意識に、手放しになるからだ。

母親は 眠っており、子供は容易に外に出て来られる

 

 意識が あれば、母親は努力をすることになる。

すると 逆効果の法則が働く。

母親が 目覚めていれば、苦痛が過ぎ去るように、早く終わるように、子供が生まれてくるようにと、いろいろ努力をする。

ところが 努力はすべて障害になる。

妨害していることになる。

努力すれば するほど、通路は それだけ狭くなる。

子供は 出てこられない。

 

 原始的な社会では、母親は 子供を産む時に痛みを 感じない。

まったく 何の痛みも感じない。

これは 奇跡だ。

西洋の医学が 初めてこの事実を発見した時、母親が出産の時 何の痛みも感じないような原始的な社会が、まだ存在している事実を発見した時には、それが信じられなかった。

どうしてそんなことが可能なのか、 と。

 

 そこで調査がなされた。

たくさんの実験、たくさんの調査研究が行われた。

すると それは母親たちが 無意識であるためだ という事実が判明した。

彼らは野生動物のように 生きている。

戦闘もなく、争いもなく、強制もない。

彼らは 何ひとつ意志しない。

ただ 漂うだけだ。

彼らは原始的で、あまり意識的な思考(マインド)というものを 持っていない。

文明化されればされるほど、人は 意識的な思考(マインド)を 持つ。

文明化されればされるほど、意志が訓練される。

無意識は 遠く遠く、より深く 離れて行き、そこには 隙間がある。

 

しなければならないことが 何かあれば、どんなに難しくても、どうやったらいいか、その やり方を見つけることができる。

技術を 学ぶことができる。

専門家がいて、訓練を 受けることができる。

 だが 禅では、誰も 訓練は受けられない。

神に関しては、専門家はいないし権威もない。

そんなものは あり得ない。

それは やり方の問題ではなく、自分という存在に 寛ぐということ、何もしない ということだからだ。

最も偉大なこと というのは、自分がいない時にしか 起こらない。

ところが 何かをしていたら、必ず自分が そこにいなければならない。

 

 眠りは 自分がいない時に やってくる。

〈光明〉も また同じ規則に従う。

それは 自分がいない時にくる。

 

 

 第二章  道は完全だ (04)へ 続く・・・